森とカレー。 ⽂/くらげさん
⽊々は⽣きている。系統樹を分かれたのは15億年という太古の昔だけれども、私たちとこの森の⽊々は同じ祖先を持っている。⽊々は眼を持たず口を持たず⼿⾜を持たずずっととそこにいる。だが彼らは⽣きている。
都会にいるとすっかり忘れてるが森とは⽬だけでなく五感で楽しむものだ。中でも、森の匂いは季節を彩りより深く教えてくれる。芽が萌え出る時の⼟が開くような匂い、初夏のさわやかな新緑の⾹り、真夏のむせかえるような濃厚な芳しさ。これらは⽣命の⾹りだ。
最近の研究によれば⼈が⾔葉を操るように、⽊々は匂いを操って他の個体と「会話」をするそうだ。しかし、私たちはその研究を読まなくても森に⼊り⽬を閉じて深呼吸をするだけで⽊々とわかり合える気がする。体の隅々が森の匂いの⼀分⼦に分解して溶けていく錯覚を覚えることがある。これは⼈間と森のコミュニケーションだ。森は「⾔葉」で満ちている。
ところで、あなたは森でキャンプしたときにカレーを作ったことはないだろうか。夜の森の中で、飯ごうで炊いた堅いご飯に⼤鍋で煮込んだカレーをたき⽕の傍で掻き込んだことないだろうか。私がそれを経験したのは⼩学5年⽣の林間教室でだった。
夜のにおい、森のにおい、たき⽕のにおい、そしてカレーのにおいが私たちの周囲を満たしていた。それは⼀体となって私たちを包み込んでいた。そこで⾷べたカレーはどんなスパイスを使っても街で作ることはできないものだった。
考えてみれば不思議なもので、⽇本の森にとってカレーに使われるスパイスの⾹りは本来なかったものだ。しかしそれでも、森の⾹りはカレーをおいしくしてくれたし、森はカレーの⾹りを歓迎しているように感じた。
⽇本の森は多様性にあふれている。活発な⾃然活動を⾏う⼩さな島で絶えず変動に揺さぶられてはぐくまれてきた森。その中において知るよしもないインドのスパイスも歓迎すべき来訪者なのかもしれない。あの夜、森とカレーはどんな⾔葉を交わしたのだろうか。
森は今も静かに来訪者を待っている。⽿を澄ませて待っている。
くらげさんプロフィール
⽿の悪いADHDのうざいオッサン。普段はただのリーマン。時々作家・ライター。
ブログ:世界は⾔葉でできている